代表者紹介profile

マーケティングコンサルタンツ株式会社 加藤将太

経歴
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

※同じく代表が運営する企業である、システム開発会社「ココデ・グローバル株式会社」のプロモーション動画より

これまでの歩み

11歳11歳、塾に行かずに全国模試でTOP10に入る。
15歳15歳、エンジニアだった父に触発されて入学した高専で硬式テニスと出会う。
17歳独自の英語勉強法でTOEIC660を取得、引き続きTOEFL得点率90%を目標に立てるが、金銭的な事情で留学は断念。
大学院から留学する作戦を立て、留学のための学歴GETと激しいテニス練習環境が両立できる、京都大学(当時関西学生2部リーグ、国公立大学としては異例)を目指す。
19歳神戸高専でTOEIC850点を獲得。クラスメート全員が不可能と思う中、京都大学工学部に合格(新聞配達、運動部の経験、塾に行かない、神戸高専同学科から合格は創立以来初等の特徴)尚、高専卒業生約1万人中、京都大学と東京大学には毎年合わせて30~50名程しか合格せず、その進学率は全体の0.5%以下と珍しく、情報も少ない。このような情報不足の中、道を切り拓く術はこのあたりで学ぶ。

また、「情報を揃え、やる気を出して取り組めば誰でも道は拓ける」という信念の形成と教育へのより深い情熱をこの経験からも深める。

20歳UCバークレーに短期留学。憧れだった留学を果たす。
しかし、同時期に京都大学への自宅からの往復4時間の通学、厳しい単位認定(教職も取得しようと年間70単位以上取得。留年無しでインターンに行く時間が取れず免許の取得までは至っていない)、年100~200万円稼ぐアルバイトの継続、テニス環境の挫折(時間が無さすぎた)、思っていたのと違う先輩や単調な研究生活などの生活パターンが相まって、自分は留学ではなく冒険が目的だったと気づき、当面の目的を留学から経営に設定(最終目標が教育であることは変わらず)。
その前段階として京都大学MBA経由でコンサルに入る事にする。
つまり、コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。
21歳ベトナム人とベトナムにITをアウトソーシングするベンチャー立ち上げを試みるが、知識不足から挫折。目標を小さくして学内ポータルサイトを立ち上げて軌道に乗せる。
(その後後輩に経営を任せ、年50万円程の不労所得化に成功。)
22歳1ヶ月の勉強で京都大学MBA(経営管理大学院)に合格。
今までの一応の総復習として、3日間の勉強で、京都大学工学部の大学院にもダブル合格。
24歳京都大学大学院を卒業。大学院では学生団体を作り、同級生15人の協力を得て、述べ500名に就活を指導。京都大学の中でも、外資系コンサル・金融・総合商社等、いわゆる難関就職先へ多数の合格者を輩出。尚、この時主催していた練習会に企業を呼んだところ、協賛金が得られたことから、これを事業化すれば年商数億円の売り上げになる事を考えたが、「人生をかける程の事業ではない」と感じ、一度就職することにする。

小規模な外資系コンサルティングファーム(現在は内資)からの内定を取得するが、リーマン・ショック(2008年)後の業界再編から小規模ファームの吸収合併が相次いでいたこともあって、巻き込まれるリスクを避けて(株)NTTデータに就職、第二新卒でコンサルを狙う。
つまり、事業会社の力学を学んでから→コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。

ちなみに、その後何年にも渡って「あの時、安定を選ばず、リスクを取って、小規模でも良いからコンサルのキャリアを選んでいたら、今どうだっただろう?」と悩んだが、今になってようやく、あれが最善だったのかな、とも思う。
悩んで答えが出ないものに関しては、5-10年程やってみて結果が出てみないと何とも言えないのかなと思う。
つまり、死んだり鬱でどうしようもなくならなければまたチャンスはきっと来るということ。
これは行動力に繋がる。しかし自分の力が試されない事業会社でのサラリーマンが面白く無さすぎて、5ヶ月で脱サラ、予定していた全てのプロセスをすっ飛ばして教育を変える活動を始める。

24歳関西の大手中学受験塾の希学園に算数科非常勤講師として入社。
同一教育システムでは1,000人受験し、1年以内に正講師になれるのは40人(25人に1人)という状況(※2)下で、独自の上達理論により、5週間(1年の10分の1の時間)で正講師に昇格。算数科講師において創立20年来初の快挙。(※2)
1:同一の教育システムを採用する浜学園で受験時の試験官談。
2:当時の希学園教務課の算数科担当講師より。

尚、講師の能力系は「ラジオのようにしゃべること」「綺麗な板書をすること」「生徒と対話すること」であり、これら能力を別々に鍛えた。

具体的には、
板書:直線、円、文字を1日8時間練習、
しゃべり:名物講師のDVD音声を全て書き起こし暗唱、
生徒との対話:週に1度だけテスト監督として練習。

これで名物講師と全く同じ授業が再現できるのだから、講師になれない訳が無いと思っていた。
与えられた環境を鵜呑みにするのではなく、自分なりの上達理論を作って実践するべきと再認識。
この頃には、独自の練習プログラムを作って(システム化して)から結果を出す、という事が癖づいていた。

25歳日本最高の算数科講師になっても、日本の教育は変わらないと気づき、影響力を身につけるために経営を開始。つまり、経営で影響力を付ける→教育を変える。
全国制覇というゴールが見えた転売から始める。
26歳創業初月で3名を雇い、1年で延べ1,000名以上を面接し社員数10人を使う社長に。
27歳創業1年目で1.1億の売上を達成。1年2ヶ月後の2013年3月、Amazon法人部門月間売上高2位(4,583万円)を達成。
日本の中古書籍の買取価格相場を3倍にする事を目的に、店舗展開を目指し邁進。
手始めに金券ショップなどへ古本買取代理店を5店舗開拓、年商1,000万規模まで育てる。しかし、販売の拠り所だったAmazonから、倉庫の設立計画が変わったから17万冊あった在庫を大幅に減らすよう指示され、一時営業停止により対応せざるを得なくなり挫折。
大手の都合で経営計画を変えざるを得なくなるという危険性から、インターネットによるノウハウ付システムの貸し出し販売(ASP事業)に変更。

1日で脳内成功させられない事業はうまくいかない、という感覚の形成。

せどりは事業モデルが事前に見えていたので上手く行ったが、買取店の全国展開は、仮説はあったが事業モデルがはっきりせず、また問題が起こった際の解決策の制定も不十分であった。

28歳その年の年商はほどんど落とさず事業転換に成功、ASPで利益を得るITベンチャーになる。
また、MBAとコンサルを目指す中で培った経営&構造化の力と、起業経験を組み合わせたセミナー「次世代起業家育成セミナー」をシリーズで開催。
大々的な宣伝は行わず、それまで自分に魅力を感じてくれた方々に対する集客だけで累計3,000人を集める。